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財団法人 高知県産業振興センター
高知県中小企業支援センター
あこがれの公団住宅の昔と今
深刻な住宅難の首都圏で、駅前に出来る日本住宅公団の高層賃貸住宅は皆の憧れであった。落選20回以上で、人気の薄い郊外の賃貸住宅の入居資格が得られる。昭和39年(1964)に子供が2人になろうとするとき、6畳一間から、千葉県の常磐平団地、2DKに転居をした。しかし、大岡山まで、東京を横断する2時間の通勤は我慢の限界を超えようとしていた。東急電鉄が横浜市北部の多摩丘陵に新線建設と宅地造成を始めたのはその頃である。
東急田園都市線が開通したのは昭和41年(1966)であり、たまプラーザの公団分譲住宅、47棟1200戸の建設が進んでいた。通勤時間は僅か30分である。賃貸住宅の入居者は、分譲住宅の当選率が10倍高くなる制度を利用して、憧れの3LDKを購入した。昭和43年(1968年)のことである。ここで2人の子供達は、幼稚園から美しが丘小学校、そして美しが丘中学校へと進んだ。なお、69年には安田講堂事件、東大入試の中止、アポロ11号の月着陸があり、70年には大阪万博が開かれた。日本は高度経済成長を加速し、社会的矛盾も拡大していった時代である。
私が高知に移り住んだ後、そこは娘と孫の住まいになった。若い家族の入居による世代交代もあるが、団地の居住者の老齢化は進み、一人暮らしも増えた。団地の管理組合の役員の引き受け手が減り、娘が幹事役を引き受けることが多くなってきたのである。2008年は入居から40年であり、広報誌の記念号が企画された。娘はここで成長してきた長男の樹(たっ)ちゃんに協力してもらうことにした。
***たまプラーザ団地40周年記念投稿文***
ぼくは、たまプラーザ団地が好きです。木がたくさんあって、木登りもできるし、ヤマモモ、ビワ、柿、夏ミカン、いろいろな物が食べられるところが好きです。だけど、夏の終わりにはセミの死骸がぼたぼた落ちていること、秋になると毛虫のふんでまっ赤になっていしまうところが少し嫌いです。
ぼくのお母さんが子供のころ、この団地は、今のように木がうっそうとしげった森のようではなく、木がみ〜んな小さくて、ただ建物だけがぼつりぼつりと建っていたそうです。ぼくは昔の団地にタイムスリップして今と見比べたいです。
今、ぼくはベーゴマにハマっています。やっとうまく回せるようになりました。少しずつ仲間がふえてきましたが、もっといろいろな人と戦ってみたいです。ベーゴマを土日の午後1時からドーナツ公園でやっています。いない時もあります。昔のベーゴマ名人も、よかったら来てください。
***(大石 樹、美しが丘小学校6年生、現:美しが丘中学校1年生)***
たまプラーザ団地は斬新なアイデアで設計されている。歩行者と自動車のアクセスが完全に分離されている。例えば、たまプラーザ駅までは歩行者専用通路で行くことが出来る。このためか、ウルトラセブンなどのロケが何度も行われた。今では巨木となったケヤキの根が遊具を持ち上げ、下水管に根を入れたサクラは見事な花を付け、夾竹桃の並木は歩道を覆っている。すべて設計の時には想定し得なかったことかも知れない。
樹ちゃんは、ベーゴマを使って、世代を超えた賑やかな公園にしたいと願っている。近くの駄菓子屋コーナーのあるコンビニ、そしてそのご主人が強い味方である。

