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戦友を失いました
訃報に接したのは21世紀に入った直後である。越田豊先生を失ってから10年。
「鈴木先生、”バカ”の口癖は止めた方が良いです」に「越田先生の”アホとちゃいまっか”はきついです」とやり返したことを思い出す。2001年3月21日の一期生の卒業式に先立ち行われた追悼式で、鈴木(当時副学長)が読み上げたものを、越田先生を偲びながら採録したい。〈Flying Fish(高知工科大学NEWSLETTER)、No.14(2001.3)に掲載〉
——— 追悼 越田 豊 副学長 ———
戦友を失いました。高知工科大学を創るという戦場での戦いは熾烈でした。戦いの相手は誰の心の中にでもある「固定観念」でした。どこに潜んでいるか分からない相手です。この戦いは8年前に始まりました。副学長として共に、何時も戦いの先頭を走っていたように思います。
危篤と伺って駆けつけた1月28日の日曜日。先生の手を握りながら「しっかりせよと、抱き起こし」の戦友の歌を思い出していました。しかし、友は顔を上げてくれません。手の温もりだけが伝わってきました。
2月2日の告別式の帰り、「戦い済んで、日は落ちて」と心で歌い、涙しながら伊丹からの高知便に乗りました。もうすぐ大学が出来て4年。そこまで近づいてきた卒業式。第一期生を送り出す今日このときに、ここにいる卒業生の晴れ姿を見ることなく、あの世へ旅立たねばならなかったことは大変な心残りだったであろうと推察いたします。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私の不平や愚痴を黙って聞いてくれた先生、持って行きようのない憤りをたしなめてくれた先生でした。関西弁特有の穏やかな調子であっても、厳しい内容を盛り込んだ先生の語り口が懐かしく思い出されます。
何時だったかはっきりと覚えておりませんが、京都の鱧料理をご馳走になったことがあります。これは私の魚だよと言って居られました。豊の魚を 「ハモ」と呼ぶことを知りませんでした。その時、この次は私が私の魚で奢らせてくださいと申し上げました。「スズキ」のフランス料理のつもりで機会を探していたのですが、借りになってしまいました。
「何故、生き物は雄と雌があるのですか」、「その必要性は」、「生物にとってどんな利得があるのですか」と質問したことがあります。これを読んで下さいと渡された本、お返しできずにお借りしたままになっています。新潮選書「なぜオスとメスがあるのか」です。先生の思い出、先生の記念としたいと思います。また読み返してみると、さらに疑問が出てきます。でも、それをぶつける人はもうこの世にはいません。
高知工科大学を離れ、お互いに歳を重ねた5年後、10年後に、久しぶりにお会いして、あのときは大変でしたね、今だから言えるけどこんなだったよ、といった会話を先生としている情景を夢に描いていました。残念で、残念でなりません。誰よりも学生が好きで、学生諸君の身になって考える先生でした。今日の卒業生のことを最も気に掛けておられた先生でした。先生の情熱や思いは、本学の学生・卒業生・教職員全員に、永遠に受け継がれてゆくことでしょう。先生、これまでありがとうございました。そして、お疲れさまでした。ここに謹んで越田先生のご冥福をお祈り申し上げます。

